いよいよ大学生になりはじめての医学部仮面浪人をしていた。
安全圏を考えて宮崎医大(現宮崎大学医学部)を受けた。
同級生が代々木の旅行会社にいたため初めての空の旅の手配を任せた。
往復で5万近かった。
はじめての飛行機は今はなきJAS。
上昇、着陸にビビりながらも宮崎へ。
フェニックスにみとれていると後ろから聞いた声がした。
代ゼミで前を固めている予備校生。
挨拶をしたらみんなセンターが微妙だったから宮崎に来たという。
最終倍率も前後期10倍超えた。
みんなてまタクシーで割り勘にして宮崎医大をみにいった。
山の上にあり、宮崎市ではなく当時は清武町。
山から降りてひとまずケンタで飯と面接の練習?をした。
タクシー代は羽振りの良いコタク君が払ってくれた。確か三浪か四浪だった。
当日はみんなと会わなかったが、アメリカの医学校試験であるMCATのSkills Analysis法の日本版だった。
持ち帰って小学生用に作り直して塾でやらせてみた。
小学生の方が考察力があるのがわかった。
前期はダメで後期。
得意な集団面接があった。
アピールしまくり、論破しまくりだった。
おわってから他の受験生から
「君で決まりだ。負けたよ」
といわれた。
しかし、結果はダメ。
しゃべりすぎはダメ。
大学生活に精進することにした。
この経験は仕事に生きている。