合宿の思い出
合宿は私が小学校時代に通っていた能力開発センターの合宿にそのルーツがある。
私がはじめて参加したのは小学校4年のときだった。3泊4日で4万円程度の費用がかかった。
内容は勉強と少しのスポーツ。勉強とテストの連続、点数が悪いと追試の嵐だった。
費用の多くは宿泊代だった。合宿であってもグレードの高いホテルを利用していた。
小学校6年のときは地元の代々木の国立青少年センターだった。4泊5日でありながらも驚く費用ではなかったと記憶している。宿泊所はいわゆるユースホステルだったせいだろう。そう考えると合宿が塾の利益のためではないと思った。
大学に入り、能力開発センターも分社された代々木能開の講師として冬合宿に参加した。かねてからの希望だった国語を担当させてもらった。山梨の河口湖で行われたが、中3クラスでは満員御礼状況だった。授業も盛り上がり、非常にノリがよかった。恩師でもある社長といろいろ語り合うこともできた。
自分が追試の嵐で困ったり、就寝前に正座をさせられたりしたせいもあって生徒さんの気持ちを汲んであげて追試は「補講」という形で、正座はさせる前に「騒いでもいいけど、正座はきついでしょう」といっていた。
こんな中で合宿が終わった。勉強と少しのレジャー。3泊4日はすぐに終わった。
合宿がおわって家に帰ると・・・。
家がひっくり返ったようになっていた。すべての引き出し出されて、あらゆる封筒は破られていた。呆然として我に返ると「やられた」と思った。つまり、「空き巣」が入ったのだった。当時、同居していた母と姉はロンドンに旅行に行っていた。警察に電話をしてもすぐに来なかった。仕方なく国際電話で現地のデスクに連絡をした。TOEFLの勉強で培った英語力が生かせたのはこのときだった。警察が到着して数時間後に江戸川に住んでいた姉が来て母から電話があった。
隣家に入った空き巣が逃げて、勝手口のドアに手をかけたときにたまたまドアが開いて、そのまま空き巣に入ったようだった。
帰国予定の翌々日に母と姉が「お見舞い」で「ビジネスクラス」で帰国した。
盗まれものを確認すると叔父の形見の腕時計、私のカメラ類全部とヘッドホンラジカセがなくなっていた。
数年後、犯人は逮捕されたが腕時計もカメラも戻ってこなかった。
合宿というと空き巣というイメージがあるのはこのせいである。
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