私が22のときだ。
国文学科の学生時代だった。
当時は母のピアノ教室のお弟子さんの関係の家庭教師と塾講師をしていた。
数学ができない高校生や英語を伸ばしたい中1とかいろいろな生徒がいた。
当時は留学がしたかった。
しかし、高校時代のGPA(評定平均)が悪く、まずは大学の評定を稼いでトランスファー(編入)を目指すこととなった。
TOEFLが誤配されて近所の家に投函された。
ここは母のお弟子さんの家だった。
あるときにお弟子さんのお母さんから「これ」といわれた。
TOEFLの結果だった。
最高記録で当時で550点だった。
ひとまず志望大学の基準はクリアできた。
夏休みにそのお母さんから母に連絡が来た。
「うちのチャーの家庭教師してくれないかしら?」
といわれた。
近隣で移動時間がかならないので大喜びで受けた。
成績は惨憺たるものだった。
この成績には原因があった。
「優秀な上の2人」に比べて成績が低いため、いつも「馬鹿」といわれていた。
この「馬鹿」といわれることが、このチャーちゃんを「馬鹿」にしていることがわかった。
すぐにお母さんに「わるいんですけど、チャーちゃんに今日以降『馬鹿』といわないでください」とお願いします。
いろいろ話をしてチャーちゃんの猛勉強が始まった。
ますは「夢」と目標をみつけること。
自分を「馬鹿」だと思わないこと。
悲しそうな顔をしていた顔が凛となった。
朝は5時起き、そして勉強。途中で私が様子を見に行く。
そして家庭教師は1日2時間。
夏休みなので「夏期講習」のようにしてやった。
1日に15時間近く勉強をしていたはずだ。
「この調子だ!」と思ったときに急にチャーちゃんが前のように悲しい顔になった。
何かがあったようだ。
お母さんにきいてみたら「あーお兄ちゃんが『お前みたいな馬鹿はどんなに勉強しても無駄』といっちゃったのよ」と。
お兄さんは浪人中だった。
そのストレスもあったのだろうか?やらかしてくれた。
お母さんも気を遣ってか埼玉の親戚の家にチャーちゃんを夏休み中に居させることとなった。
今のさいたま市である。
電車で1時間以上かかったが家庭教師に行った。
環境をかえたせいでもとの凛としたチャーちゃんに戻ってくれた。
「お前は馬鹿じゃない」
「馬鹿はいない」
私が19歳でこの世界に入ってからずっと持っている信念だ。
後に吉野敬介先生の『お前は馬鹿じゃない』を自信なさげな生徒さんにプレゼントするのもここからである。
「君はできる!お前は馬鹿じゃない!」
結局、チャーちゃんは都立高校に入った。
野球部に入った。
レギュラーのサードになった。
同じ高校には小学校時代にチャーちゃんをいじめた輩がいた。
しかし、チャーちゃんはもう馬鹿でも弱くもない。
受験でつけた自信があった。
堂々としていたらいじめた輩は近寄ってこなかった。
が、野球の試合で送球を受けて目を負傷してしまった。
野球はやめることとなった。
チャーちゃんは悲しかったが「夢」を見つけた。
若くして亡くなった父親のような料理人になることだった。
高校卒業後に調理の専門学校に通い調理師免許を取得。
大手の居酒屋チェーンに就職。
そして24歳で開発部門(メニュー)に抜擢されたのだ。
その話をチャーちゃんのお母さんからきいたときには泣きそうになった。
「チャーは出逢いよ!先生ありがとね」
とお母さんが私にいってくれた。
人間は「馬鹿」を越えた時に可能性が出る。
そして「夢」を持てばどんどん先に進める。
このときに得たことである。
このときのこともあって、私は生徒さんの可能性にかけている。
だから「ダメ」「無理」「馬鹿」は言わない。
できるだけやってみてほしいのだ。
ダメだったらそのとき考えればいいんだから。