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灘高→東大合格率ナンバーワン 伝説の入江塾は、何を教えたか

私が尊敬し、師として目標としている先生が3名いる。

1名は中学生時代と大学時代に講師としてお世話になった信太郎先生、もう1人は義父。

そして、入江伸先生である。

入江先生は、私がもっとも尊敬する先生の1人である。

入江塾の同窓会を機会に入江先生の著書をダイジェストにした一冊である。

私の恩師であるN先生は入江先生の直弟子である。なら私は孫弟子。この復刊はよい。今でも通用する。

当塾の中学部が選抜試験を行わないのは入江先生に倣ってのことである。

購入したが、入江先生の思いに感動をして泣いてしまって読めないでいる。

amazonの商品の説明 から



内容紹介

いまも色あせない、“受験の神様"が残した20の法則

「市販の参考書は買うな」

「自信の持てる一教科を作れ」

「志望校の傾向や対策を追うな」

「他のクラスメートやその親がすることに追随するな」

「ほんのわずかな差異が、できる子と、できない子に分ける」

「母親には母親の、父親には父親の役目がある」

「机を離れてこそ、得られるものがある」

「“……したい"という心に打ち勝てる子どもだけが、成功する」

「読み書きが、感動・感激し、熟考する力を養う」

「試験場では、残り三分の一の時間帯が勝負」

伝説の学習塾で教えていたのは、“受験ノウハウ"ではなく、

自分で考える力、生き抜く力だった!

入江塾とは……

大阪帝塚山に、1986年まであった学習塾で、正式名称は、伸学社。

「入江塾」は、塾頭の入江伸の名による通称である。

入江は、もと大阪府立高校の教師だったが、退職し、中学生向けの通信添削を行なう仕事を始めた。

そこから、添削を受けていた生徒たちが、自然発生的に入江のもとへ集まり、

直接の講義を受けるようになった。これが、塾の始まりである。

その2,3年後、塾生の一人が、当時、超難関で知られる灘高を受験し、合格。

わずか十名の募集しかなかった年の合格であり、しかも得点成績はトップだった。

翌年から、相次いで灘高の受験希望者が門をたたき、生徒の数は増え、「入江塾」の名も全国に広まる。

ある年には、灘高は55人を募集するが、その合格者のうち30人がこの塾の出身だった。

やがて、高校生も教えるようになり、「入江塾」で学んだ灘高生の九割近くが、東大へ進学したという。

灘高合格から東大合格へ……日本のエリート教育校の双璧において、合格率ナンバーワンを誇り、

まさに日本一の学習塾として、その名を全国にとどろかせた。

しかし、閉塾までの約30年間、入塾のための審査や試験は、いっさい行なわれていない。

やる気のある子なら、それまでの成績内容にかかわらず、すべて受け入れたのである。

その一方で、入塾後の生徒は、徹底的ともいえる人間教育で指導した。

生徒たちは、人間力陶冶のための合宿へ参加し、日常的に、誠実で謙虚な生活実践が求められた。

これは、入江の塾運営の目的が、勉強の成果のみの追求ではなく、学ぶ過程で、

少年らしい、健やかな自主性が養われることにあったからである。

※本書は、『入江塾の秘密』(昭和49年初版)、『奇跡の国語』(昭和53年初版)、
『奇跡の入江塾方式』(昭和55年初版)の3点より、一部を抜粋し、再構成したものです。

内容(「BOOK」データベースより)

伝説の学習塾で教えていたのは、“受験ノウハウ”ではなく、自分で考える力、生き抜く力だった!かつて大阪に、入塾試験や審査を一切おこなわず、灘高、東大合格者をつぎつぎと出す、日本一有名な学習塾があった…。いまも色あせない、受験の神様が残した20の法則。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

入江/伸
1917年、大阪生まれ。2006年、逝去。伸学社(入江塾)塾頭。関西大学哲学科卒業後、大阪府立高校の教職に就くが、1948年に退職してからは、市井の教育者となる。その独特の教育理念と実践、難関高合格の実績から、“受験の神様”の異名をとった(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


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