沖縄に来た時にケアマネージャーの研修を受けた。
東京からやってきた直後だった。
大学や大学院時代みたいにいろいろと派手に発言をしていた。
評価はよかったと思う。
最後に研修指導者から言われた。
「沖縄が他県と違うところは、ユタにきいてから決めるんだ。沖縄では『医者半分、ユタ半分』と言われるくらい身近な存在の神人(ユタ)。がいるんだ。」
といわれた。
ユタとはいわゆる霊能者。
このユタが神仏やご先祖様にお伺いをして、それをもとに判断する。
先日、こんなことがあった。
ある店主がいっていた。
昔、お墓をずらしたら親族が亡くなった。おばあさんがびびって「ユタ」をかった。その後、若者も含んで2人がなくなったとのことだった。
そこで一家全体で「ユタに懲りた」といって全面的に信じなくなったというのだ。
沖縄はこういったスピリチャルな世界で生きている。
本土でも若者を中心として占いや霊能者に頼ったりしましまう。
その意見を参考程度にするのならいいかもしれないが、妄信的に従ってしまうのは危険性がある。
そういった場合は、失敗した場合にスピリチュアルの世界の人間は助けてくれない。
あえて助けてくれるなら「よくなるように祈るので・・・」と課金されるのがオチだろう。
私も大学4年のときに進路に悩んで山伏を目指して信州の山奥で禊ぎや般若心経、祝詞を上げていた。
さらに家系の神社や墓を神主のようにして祝詞を上げたり、供養したりしていた。
家系の神社の隣人の霊能者は「ここの神様がうんと喜んでいる。」と褒められた。
さらに牧師になってこういった日本的なスピリチュアルから離れて、エクソシストのようになり、散々と訓練をした。
そんな中を経て思ったのは、こういったスピリチュアルに関係している人は本当に幸福なのかということだった。
エクソシストみたいな牧師は、多くは精神的に緊張状態にあるようだ。
いつでも戦っている。そして多くはガンになって亡くなる。
霊能者もテレビに出たりして有名になった人たちの末路をみるとほんとうに幸せなのかと思うこともある。
中には逮捕される人もいる。
そこで思う。スピリチャルはほどほどにすること。
「自分の運命は自分で拓くこと」であることが大事なのだ。
つまり、勉強だけではなく、自分の夢を叶えるための環境づくりをすること。
言えることは、スピリチャルの世界の人間に助言を受けて進んでも、結局は、その人間は助言だけで、人生の責任を取ってくれないのだ。
やはり、最後は自分なのだ。